私のマイコン・パソコン歴
高校
PC-8801を買ってもらってそれなりに遊ぶ。
大学(1985-1989)
クラブの部室のPC-9801で遊ぶ。家ではPC-8801にCP/Mを入れて遊ぶ。6502を喋る友達が68000でマイコンを組むのを見ている。自分ではZ80入りのTNCのキットを作る。
某紡績系ソフトハウスでIBM5550向けのバイトをしそうになるがハマル前に止める。今はかなり大きくて四角いソフトハウスで友達がゲーム作りのバイトをしていたのでテストプレイのバイト。ソフトウェアのバイトをしていた先輩や同期がつぎつぎと留年するのを見て、ソフトはたしなみ程度で止めておこうと誓う。
モデムをもらってパソコン通信のBBSなどに「書き込んで」みるがいまいちなじまない。
大学の実習でM-380をパンチカードで(やっほー、フォートランランラン)。実験ではアナログコンピュータ, 68000など(もちろん回路に強電に半導体作りなどもやる)。別の実習でPDP-11; talk、rogue、E-Mailデビュー。研究室に入ってSony NEWS NWS-800; NetNews, rootデビュー。パソ通よりもインターネットのほうがしっくり来る。
研究のスポンサーへの手前 TI TMS32010のボードでFFTなぞ組んでお茶を濁す。
研究は主にPC-9801VX21で; "音声合成における個人性制御" 線形予測のボコーダをベースに、環境はMS-FORTRANでシミュレーション。
研究室の先輩の引っ張りで、母体は英語系だけど多角化してコンピュータにも手を出した専門学校
でC言語の講師。同じ先輩の引っ張りで某超大手出版社でBasicの本など書く(共著、今は絶版)。
大学院
学科ネットワークのadminデビュー。
専門学校のC言語講師のバイトを続けつつ、先の某大手出版社でC言語雑誌で入門記事の連載。雑誌の編集長(先のBasic本の編集も)が立ち上げ時の過労から亡くなる。編集者にはなるまいと誓う。
PC-9801DA2に買い替え。そのうちCyrixの互換チップに乗せ換え。PC-9801F2やらなんやら中古で仕入れて並べてRBBSなどやってみる。
学校の大型計算機がM-780に替わる。タイムスライス50%でSysVが動くも使用者は他におらずウハウハ。他にSUN4が数台、FM16βが山のようにあったので使いまくり、大学計算機センターのプログラム相談員や授業のチューターなどして計算機使用料を捻出。
研究は学部のときからの連続テーマ。音声をモデル化しないでケプストラムを使ったりニューラルネットを使ったり。FORTRANとCなど。
勤め人
学生のときに身の回りはハッカーばかりだったので、自分はぬるいと思っていた。会社のソフトウェア研修で初級を受けたら追い出されてしまった(涙)。
ソフトからは足を洗いハード屋にならんと欲す。当初アナログ・サーボ屋で、しかしデータロガーを H8/532 で作って仕事。端末はPC-286ノート。
ディジタル屋に転じて、ABEL、AHDL、HDL書きに、ハードウェア屋だけどソフトウェアなインターフェースでFPGAを並べて試作をしたり、LSIを作ったりしてオーディオの仕事(内容は秘密)。とりあえずCPUが介在しない硬い世界。端末はNEWSやSUN。ircデビュー。emacs Lisp で無能を書いて遊ぶ。
プライベートではマックに手を出しDTM。Macintosh Classic II → LC475 → Performa636CD → PowerBook 180c → PowerMac9500/132 → PowerBook 5300ce → 9500にG3カード。
DTMで作った音楽は ニフティ とか ゆいネット あたりにアップロード。そのうち仕事が忙しくなって遊んでいられなくなる。
モトローラ DSP56001に外付けハードウェアを組んでオーディオの仕事。お化けのようなチップセットを6組並べてMIPS+専用周辺チップでビデオの仕事。1年間遊んでいるときに、後に某社で情熱機関を作る後輩からヘネパタ本を教わる。帰ってきてビデオの仕事とオーディオの仕事を合体してWindows NT4 でハリウッドの仕事。LSI仕事人が減っているとかで呼ばれてまたビデオの仕事。2年ほど戦略部門で遊んでたときにPIC、AVRデビュー; 人からもらったFMVが活きる。復帰後はFPGAを山ほど並べたビデオの試作仕事(エンベなソフトコア)。
明日はどっちだ。