私の無線歴
中学校
中学に進んでラジオをげっと、ナショナル Proceed 2800。
英語の先生とBCLクラブを創立する。が、クラブの活動は停滞していたので、個人活動が主。そのうちクラブ活動といえば 陸上競技 {に|で} 走る。
中学校2年生の春休みに電話級アマチュア無線技士従事者免許取得。
高校
お空に出まくる。
1年の夏休みに親戚の電気屋でバイトして、貯めたお金でミズホ通信 ピコ2 MX-2(144MHz SSB/CW無線機)を買って組み立てる。いまいち 2mは馴染めない。高校1年の秋に電信級アマチュア無線技士従事者免許取得。
大学
大学に受かって自宅に12m高のタワーを建てる。6mの6eleを上げる。
無線とかコンピュータとかオーディオとか電力工事をやっているクラブに入る。部室からも空に出る。弱小ながら ALL JAコンテストとか。430MHzのFMハンディ TH-41 を入手。
大学1年の春休みに第2級アマチュア無線技士従事者免許取得。
この頃から勢いがついて無線機が増え始める(TM-411AとかTS-811Dとか)。クラブの先輩がアマチュア無線機器を扱っているメーカー勤務だったことも大きい。
HFの無線機を入手、FT-101ZD。固定局も開局。21MHzの2ele HB9CV を上げる。
パケット通信を開始。430MHzのアンテナは2、3本上げていた。
1200MHzも開始(TM-531)。
大学院
さらにHFの無線機、TS-440S入手。IC-W2を買ったり。
パケット通信でTCP/IPをやったり、PRUGの会合に顔を出したり。
ミニFAX入手。新年FAXで遊んだり。PanaFAX3000 を入手、気象FAXを受信して遊ぶ。今は亡きタスコのTNCでRTTYをやってみたり。
fj.forsaleでスカイセンサーのUSモデルをゲット。ICF-5900W。しかし短波放送はゼネラルカバレッジ受信機能のついたHF機での受信が主になっていた。
学会発表でハワイに行ったときも電波を出すことは忘れなかった(もちろん免許は受けていきましたよ)。
勤め人
無線をやる時間がぱったりとなくなる。遠出をするときの連絡用ぐらい。
集合住宅に越してアンテナ難民になり、いっそう強まり、しかしボーナスを投入してJARLの終身会員にはなっておく。
USへ行ったもののGeneral級すら取らずに帰ってくる。
帰ってきて無線機もがっさりとリストラ。すっきり。ICOMの430/1200MHz のFMハンディだけ残しました。移動局を廃局。固定局を移動局に変更して無線局免許は維持する。
別の集合住宅へ引っ越して工作熱が高まってきた頃、パケット通信+GPSという遊びを知る。ガーミンのGPSを入手して、TNCも中古で入手して、地図ソフトも入手して遊んでみる。ビーコン出したりする機械を作ったりもしましたがまもなく飽きる。
その頃には音声変調された多モードもパソコンのサウンドカードで復調できるぐらいになっていた。大学の無線部の先輩からゼネカバ受信機能のついたハンディ機 TH-F7 をもらい、SSTVやらFAXやら受信してみる。
まもなく飽きて、今日に至る。
また本格的に無線を復帰する日もそのうちにくるでしょう。とりあえずハムフェアぐらいはなるべく通うようにしています。が、OMとされる人たちに変な人が多くなってきた*1のでちょっと嫌になりつつある、開局24年目。
*1:昔からかも。